1980年代以降、世界を席巻したグローバル経済という巨大な波が、今、静かに、しかし確実に引こうとしている。その波がもたらしたのは、資本主義という冷徹な構造原理の極限までの追求だった。集中と高速回転。それがこのシステムの心臓部であり、その鼓動はアメリカ主導のデジタル技術と金融工学によって、かつてないほど速く、力強くなった。マネーは国境を越え、瞬時にして世界中を駆け巡り、最も効率的な場所へと集中していった。
資本主義というシステムは、その宿命として、常にパイの拡大を求め続ける。拡大を止めれば死に至る、止められない暴走特急のようなものだ。そして、さらなるパイの拡大速度の加速化こそが、至高の目標とされた。冷戦終結後、中国や旧ソ連諸国といった広大なフロンティアが、新たな市場として、そして安価な生産拠点として、このシステムに組み込まれた。新興国の経済発展とそれに伴う人口爆発。この「人口ボーナス」という強力な燃料が投じられ、グローバル経済は好循環の中で、狂気じみた加速を遂げた。
しかし、どんな物語にも終わりはある。この構造原理は、自らの限界という物理的な壁にぶち当たった。天井。フロンティアは枯渇し、開拓すべき新たな市場はもうどこにも残っていない。これが、現在のグローバル経済が抱える行き詰まりの、最も本質的な原因である。
だとするならば、グローバル経済の後に来る新しいパラダイムの構造原理は、必然的にその逆を指し示すことになる。マネーが集中しない世界。加速化しない社会。あるいは、集中することも、加速化することもできないシステム。それは、別の角度から見れば、これまで世界を繋いできた人とモノと金のグローバルサプライチェーンが、ブツブツと寸断されていく世界線だ。世界は分散化し、セグメント化され、ブロック化していく。それをより前向きな言葉で置き換えれば、「多様化」の時代が幕を開ける、ということでもある。
これは、産業革命以来、数世紀にわたって続いてきた中央集権的なメカニズムの構築という巨大なトレンドの崩壊を意味する。日本史に例えるなら、平安時代の律令制に基づく中央集権国家が崩壊し、中世の封建制度へと転換していった過程と、驚くほど似たアナロジーがそこにはある。資本主義、民主主義、そしてそれらがもたらす「集中」という巨大な遠心力から、各地域が独自の価値観、独自の市場経済、独自の社会メカニズムを、ローカライズされた形で再構築していく。それは、平安時代の貴族社会と律令制が瓦解し、その後、江戸時代の封建制へと至る、長きにわたる分権化のプロセスに重なる。
その中で、経済も社会も、それぞれのローカルな地理的環境、民族的特性、そして地政学的な問題といった、外部・内部環境要因によって、多様な色彩を帯びていくだろう。一つの普遍的な「正解」は消滅し、それぞれの地域が独自の物語を紡ぎ始める。それは、混乱と不安を伴うかもしれないが、同時に、これまでシステムによって抑圧されてきた多様な生命力が、再び息吹き始めるプロセスでもあるのかもしれない。
Naoki Sakai