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91000000【論説】電力業界に遅れてやってくるグローバル経済の荒波。失われた30年を経て私たちはどこに向かうのか?

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2026年5月8日 · 電力

はじめに

2000年からの年間は世界中がグローバリゼーションという荒波に飲まれて、産業構造や、私たちの暮らしを一変させた激動の時代でした。

その中で、電力事業、特に電力小売事業は、これまで保護された、国内産業的な性格を持っていました。これは日本だけではなく、世界的な特徴でした。電気事業をめぐる法・規制、送配電網管理、料金体系、環境価値。その多くが各国固有のルールの中で閉じており、国際競争の波を直接受けることは限定的でした。

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しかし今、その前提が大きく変わろうとしています。背景にあるのは、GHG Protocol Scope2改定を契機とした環境価値の高度化、電力データの細分化、アワリーマッチングに代表される時間・地域単位での電力管理、そして電力先物市場の拡大です。

これ単なる環境政策でも、単なる電力制度改革でもありません。電力をデジタル化し、データ化し、コモディティ化し、世界共通市場化し、さらに高度な金融手法の対象にしていく流れです。

それはすぐには明確な形をもって現れないけれども、グローバリゼーションと両輪で進んだIT・デジタルが多くの産業構造を変えたように、20年後の電力小売事業は、この大きな変化の中で、根本的に姿を変えている可能性があります。

世界の市場拡張が限界を迎え、(途上国を巻き込んで、中国に代表するグローバルサウスが成長し、人口が爆増するトレンドに行き詰まり)、いわゆるグローバリゼーションの局面から、分断に向かっている今この時期に、電力業界にグローバル化の流れがとうとうたどり着こうとしています。

先に結論を言えば、その未来像は、特に日本では、大きく二つの方向が並行して進む兆しが見え始めています。

一つは、世界共通ルールの中で巨大なデジタル電力・環境価値市場に国内市場が飲み込まれていく方向です。そこでは熾烈な世界大競争が起こるでしょう。

もう一つは、その反作用として、地域分散型・地産地消型へ回帰していく方向です。

この記事では、その未来を考える前提として、まずグローバリゼーションそのものの本質を振り返りながら、なぜ今、電力小売が「最後の国内産業」から世界市場へ引き込まれようとしているのかを考えてみたいと思います。

第1章 グローバリゼーションとは何だったのか

冷戦終結によって変わった「ゲームのルール」

1970年代から90年代前半にかけて、日本は製造立国として世界でも圧倒的な競争力を誇っていました。自動車、家電、半導体。高品質な工業製品を大量に生産し、西側先進国の中でも極めて高い生産性を実現していました。

しかし1990年代以降、世界は「グローバリゼーション」という新しいゲームへ移行します。

グローバリゼーションの本質は、ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動する世界です。

冷戦構造の下では、東西関係と南北関係は固定されていました。

それまでの伝統的な資本主義の仕組みは、国民国家のシステムに組み込まれていました。それまでの世界では、資本は基本的に国内で蓄積され、その蓄積をもとに少しずつ産業を高度化していくしかありませんでした。

日本は、明治維新以来、第二次世界大戦の時期を除き、世界の優等生としてそのパスを歩んできました。なんとか少ない国内資金を集めて、富岡製紙工場を設立し、まずは生糸産業から始めます。そこで得た資金を元手に、徐々に資本投下が必要な重工業へと軸足を移し、産業構造を「発展」「高度化」させていきます。

戦後は、自動車や電機といった機械産業へ拡張し、さらに80年代にはハイテクと呼ばれた半導体やPCへと拡張していきます。

国内で製造業を育成し、技術を蓄積し、教育を整備し、インフラを作り、数十年から100年近い時間をかけて徐々に豊かになっていくというのが伝統的な資本主義のしきたりでした。

ところがグローバリゼーションという新しいパラダイムによって、この前提が大きく変わりました。

外国資本が、投資や融資という形で国境を越えて自由に飛び回るようになったのです。

その結果、途上国は、自国内で長期間資本を蓄積しなくても、海外資本を呼び込み、それを使って巨大工場や輸出産業を一気に立ち上げることが可能になりました。

しかも、途上国側には「失う既存産業」が少なかったため、新しい産業構造へ大胆に移行しやすい環境もありました。

最初は香港、台湾、韓国。その後、中国、ASEAN、インドへと生産拠点が移転していきました。世界市場の拡大と生産拠点の移転。これこそがグローバリゼーションの核心でした。

グローバリゼーションを支えた「デジタル化」

ところで、人・物・金が国境を越えて自由に移動するためには、一つの大きな前提があります。それがデジタル化(DX)です。ここでいうデジタル化とは、単にIT化や業務効率化を意味するものではありません。

よく、DXを目的とする、つなりデジタル化することが産業発展の目的だとする論調がみられます。もちろん、デジタル産業がお金を稼ぐということもありますが、本質はもっと深いところにあります。

それは、既存の商品やサービスをデジタルデータとして定義し、世界共通で取引可能なコモディティへ変換することにあります。各国独自の商品、各国独自のサービス、各国独自の取引慣行のままでは、世界市場は成立しません。

人・物・金が自由に動くためには、まず商品やサービスが共通ルールの中で規格化されなければなりません。そして、それがデータ化され、クラウド上でやり取りされ、国境を越えて同じルールで売買される必要があります。

つまり、グローバリゼーションとは、単に国境が低くなることではありません。国内ごとに分かれていた取引市場を、同じデータ、同じ規格、同じルールでつなぎ、世界共通市場へ変えていくプロセスでもありました。

そして、データというコモディティにされ、成立された共通市場で、巨大な資金を投下して新たな産業を成長させていく、これがIT革命の本質です。

その流れをもう一度整理すれば、デジタル化、データ化、コモディティ化、共通市場化です。まず商品やサービスがデジタルデータとして表現されます。

次に、そのデータが標準化され、誰でも同じルールで扱えるコモディティになります。さらに、それがクラウド上で接続され、世界共通市場で取引されます。

しかしそれだけではグローバリゼーションの基盤パッケージは完成しません。

もう一つのドライバーは金融手法です。コモディティ化したビッグデータを分析して、そこに高度な金融技術を駆使して、データをベースとした金融業を発展させる。

つまりデジタル化と金融化がグローバリゼーションの2つの基礎構造です。そして、グローバリゼーションの勝者の1つとなった米国は、それまで90年代まで日本の自動車・電機・半導体・鉄鋼会社の席捲で産業が空洞化して慢性的な不景気に悩んでいたのが嘘のように、このデジタルと金融業界を中心に復活を果たします。

もう少し解像度を高くすれば、例えば、航空券予約、ホテル予約、広告、物流、交通、クラウドサービスなどそれまでは国内で保護されていた産業群がこの流れを通じて世界共通市場へ組み込まれていきました。そして、その市場で勝ち残った企業が、最終的に巨大なプラットフォームとして市場を独占していきました。

途上国のキャッチアップと、先進国の相対的埋没

グローバル経済の勝者はもちろん中国をはじめとする新興国です。

そして残念なことに、一番のルーザーは私たち日本です。日本は、失われた30年という停滞期に入りました。

しかし、この重要な特徴は、「私たち先進国の生産性が落ちたから負けた」のではないという点です。

むしろ、多くの先進国企業は高い技術力や生産力を維持していました。しかし、途上国側が猛烈なスピードでキャッチアップを始めたのです。

海外資本、海外技術、海外市場が結びつくことで、途上国は短期間で大規模製造業を立ち上げ、世界市場へ参入できるようになりました。新興国が成長し、市場シェアを拡大していけば、先進国の相対的シェアは低下していきます。これは、絶対的衰退というより、「相対的地位の低下」という現象でした。

グローバリゼーションの下では、先進国は相対的優位性を低下せざるを得ないという宿命にありました。

そんな時代に、日本以外のG7各国は独自の「防衛策」を講じました。

その筆頭は、先ほどのアメリカです。

アメリカは、製造業の一部を手放す一方で、金融とデジタルという二つの領域に重点的にリソースを投入して、この分野だけは圧倒的な優位性を確保しました。Google、Amazon、Apple、Microsoft。彼らは、データを集約し、市場を形成し、その市場上で膨大な取引を発生させるプラットフォームを築きました。つまりアメリカは、DXにより「市場そのもの」を支配する側へ回ったのです。

そして、EUは、別の道を歩みました。彼らはいくつかの戦略をもっていました。

第一に、EU統合によって東欧を経済圏に組み込みました。いってみれば東欧は新興国です。つまり伸びしろのある労働力と市場を囲い込んで、自給自足のハリネズミ戦略をとりました。そして地政学的な脅威の少ない中国と友好関係を築き、自動車や電機といった多くの製品・サービスを輸出することで、新興国の成長を内包していきます。

第二に、規制・制度・国際標準を武器にしました。特に英国は覇権国の地位を米国に譲ったあとも、今も国際標準の主導権を握っています。

第三に、SDGsとグリーン成長という新しいアジェンダ(GX)形成を主導しました。そのアジェンダの下で再エネ、EV、ESG、炭素規制という手を打ちました。これらは単なる環境政策ではなく、新しい産業ルールでもありました。つまりEUは、「GXという新ルールを作る側」に回ることで競争力を維持したのです。

しかし、いくつかの誤算はありました。まず、中国がここまで産業力と、軍事力をつけて準覇権国家になるとは予想していなかったことです。結果的に、再エネ・EV分野では中国にむしろ攻め込まれています。もう一つは、ロシアとの関係です。EUとNATOの拡張がロシアからの反発を招き、地政学的なコストとリスクが増嵩しています。

しかし、グローバル経済が行き詰まりを迎えている今も、このパッケージの有効性は色あせていません。むしろ、パックスアメリカーナというアメリカ一極主義が終焉する一方、中国もやはりグローバリゼーションといいわばボーナスタイムが終わり、国内経済が疲弊している中で、世界は分断化、多極化するなかで「グリーン経済」はむしろ一層輝き始めたように思います。

残るG7の国、オーストラリアやカナダは、資源立国としての優位性を活かし、エネルギーや鉱物資源を武器に成長を維持しました。

こうした中で、我々日本は、こうしたポジション取りによる新しいゲームへの対応で後塵を拝しました。

それまでの東西分断・南北固定化というパラダイムで製造業で圧倒的な勝ち組であった故に、その成功体験から抜けられなかった、あるいは現状バイアスゆえに、事態への対応が遅れてしまったということなのかもしれません。

ここでもう一度確認しておくべきは、日本企業の技術力や生産力そのものが急激に低下したわけではありません。現に、今でも特に高品質な製造業の領域では、圧倒的なシェアや優位を誇る企業は多くあります。

しかし、デジタル化、金融化、国際標準化、近隣市場の囲い込み、グリーン経済という新フォーマット形成において、独自の世界ルールを形成することはできませんでした。

経営学の領域で、スマイルカーブというものがあります。サプライチェーンの上流と下流を抑えないと、高い収益は得られないということで、ある領域だけ強くても、そこだけでは高い収益性が確保できなくなることを意味します。

日本は依然として「モノを作る力」には強みを持ちながらも、その上位にある「市場設計」「標準化」「金融化」「プラットフォーム化」という新しい競争領域で優位性を確保できなかったと言ってよいかもしれません。

その結果、日本の生産性自体は大きく変化していないにもかかわらず、新興国が猛烈な勢いで成長していく中で、世界経済における相対的シェアが低下していきました。これが、結果として「失われた30年、40年」という現象につながった側面があると言えるでしょう。

第2章 なぜ今、電力小売が変わるのか

電力セクターは「最後の国内産業」だった

一方、これまで電力事業は、極めてローカルな産業で、こうした熾烈な世界競争とは無縁の領域にありました。送配電網、需給調整、制度、料金体系。すべてが国内ルールで守られていました。

さらに重要なのは、電力データそのものが可視化・標準化されていなかったことです。これまで電力は、全体需要や全体供給を「どんぶり勘定」で管理する性格が強く、年間単位、月間単位、あるいは数時間単位での管理が中心でした。

つまり、電力そのものが、世界共通で取引可能なデジタル商品として定義されてこなかったのです。電力データは細分化されず、クラウド上で流通せず、時間別・地点別・属性別に標準化されてもいませんでした。

まとめると、電力セクターはデジタル化、データ化、コモディティ化、共通市場化、金融化というグローバリゼーションの基本プロセスから、長らく距離を置いてきました。そのため、電力市場はローカルルールの中で閉じた世界として存在してきたのです。

これは日本に限ったことではなく、世界各国もEU以外は同じような状況にあったといってもよいと思います。

第3章 アワリーマッチングは「環境価値のデジタル化」である

しかし現在、その状況が変わり始めています。その大きなきっかけが、グリーン経済を主導するEU、そしてデジタルと金融で圧倒的な優位性を誇る米国がタッグを組んで進めているGHG Protocol Scope2改定の議論です。

その台風の目が、アワリーマッチングです。

これは単なる炭素会計の話ではありません。

その本質的には、「環境価値のデジタル化」です。行ってみればGX(EU主導)のDX(米国主導)です。

従来の再エネ証書(EAC)は、年間単位で扱われることが一般的でした。しかしアワリーマッチングでは、「いつ発電された再エネなのか」というタイムスタンプが重要になります。

つまり、環境価値が時間別データとして細分化されるということです。

環境価値なんて電力と関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、EACというのは、再エネ電力の由来証明であり、電力の属性を証明するものです。

要するに電力の血統書です。EACは、電力とは別の抽象的な商品ではなく、どの電力が、いつ、どこで、どのような属性を持って発電されたのかを示す由来証明だからです。

したがって、環境価値が時間別に取引されるということは、最終的には電力そのものの時間別取引や、電力の属性別取引につながっていく可能性が高いと思います。

つまり環境価値と電力を完全に切り離して考えることは、長期的にはよい考えではないという見立てです。

再エネ由来の価値(あるいは再エネ電力)がデータ化され、タイムスタンプ付きのコモディティとして定義され、世界共通ルールの中で市場化され、オープンになる。そして、その価値が取引されるようになれば、将来的には価格形成やヘッジ、証書のポートフォリオ管理といった金融化も進んでいきます。

つまり、アワリーマッチングは、デジタル化、データ化、コモディティ化、共通市場化、金融化という流れを、電力の世界に持ち込む動きだと言えます。

米国は、データを集約し、プラットフォームを作り、市場を金融化することで競争力を築いてきました。一方、欧州は、環境規制、国際標準、グリーン経済のルール形成によって、産業の方向性そのものを設計してきました。

アワリーマッチングやタイムスタンプ付き環境価値の導入は、最後に残された電力の聖域に、この2つの影響が及び始めた現象として捉えることもできます。ある意味で、令和時代の黒船の来航と表現してもよいかもしれません。

そう考えると、今後の電力セクターの将来像は、まったく未知のものではありません。旅行、金融、広告、物流、クラウド、通信など、他産業でDX化の末に何が起きたのかを見れば、今後どのような構造変化が起こり得るのか、その輪郭が見えてきます。

第4章 旅行業界で起きたことは、電力でも起きるのか

その代表例として振り返っておきたいのが、日本の旅行代理店がどのようなステップを歩んだかということです。

現在の電力小売とかつての旅行代理店は極めて似ているビジネスモデルだと私は考えます。

皆さんは、ホテルをどうやって予約されていますか。お住いの近所にある旅行代理店にいって、スタッフの人に相談して予約しますか。

恐らくスマフォかPCで予約しますよね。私もGoogleを使い、そこでいくつかのサーチエンジンで安いところを探して予約します。

しかし、ほんの20年前まで、旅行代理店は、たいていの町に複数あって、航空券の販売やホテル予約の窓口機能を独占していました。

しかし現在では、航空券やホテルはデジタルデータとして標準化され、世界共通の予約プラットフォーム上で取引されています。部屋の空き状況、価格、キャンセル条件、レビュー、地域、日程。すべてがデータ化され、標準化され、クラウド上で流通しています。

その結果、国内市場だった旅行商品は、世界共通市場へ組み込まれました。さらに、価格は需要と供給に応じてリアルタイムに変動し、アルゴリズムによって最適化されるようになりました。これは、旅行商品が、デジタル化され、データ化され、コモディティ化され、共通市場化され、金融化されたということです。

そして、その結果として、地域の旅行代理店は、世界共通プラットフォームの一部へ組み込まれていきました。日本人が日本の航空券やホテルの予約を、米国や中国のプラットフォーム上で行うという現象が起きています。

私は電力小売でも、同じことが起きる可能性があると考えます。

従来の電力小売は、電気を仕入れて売る事業でした。しかし今後は、電力を構成するさまざまな価値が細分化されます。

電力量、時間価値、環境価値、地域価値、供給可能性、柔軟性、調整力、蓄電価値、需要応答価値。これらがデータ化され、標準化され、コモディティとして国際的に自由で開かれた市場で取引されるようになると、電力小売は単なる販売会社ではいられなくなります。

そこで強みを持つのは多数の発電事業者、多数の需要家、多数の契約類型をデータで結び、需要家ごとに最適化された電力商品を組成することのできるアルゴリズムを兼ねそろえたマーケットプレイス型小売です。

例えば欧州では、英国のOctopus Energyのように、多数の再エネ事業者と需要家を接続し、個別の電力メニューを提供するプラットフォーム型小売も登場しています。

同社は、EUでも販売シェアを拡大し、さらにEU域外にも進出しています。

第5章 電力先物市場の金融化

すでに始まっている「電力の金融商品化」

もうひとつ既に「国際化」している領域があります。それは、電力先物市場です。

現在、日本の電力市場では、国内取引所に加えて、欧州系の取引所や海外プラットフォームの存在感が高まっています。そこでは、シンガポールをはじめとする海外プレーヤーが、主に投機目的で存在感を示しています。

つまり、日本の電力という売り手も買い手も国内勢という取引が、海外企業の運営するプラットフォーム上で、海外資本が参加する形で行われる構造が生まれ始めているのです。

これは、電力が単なる物理的インフラではなく、価格変動リスクを持つ金融商品として扱われ始めていることを意味します。

しかも、この市場では、単純な先物取引だけではなく、コールオプション、プットオプション、スプレッド取引、デリバティブ取引といった高度な金融手法が導入されつつあります。

ここでも同じ流れが見られます。電力価格がデータ化される。一定の期間、エリア、商品単位でコモディティ化される。取引所を通じて共通市場化される。そして、オプションやデリバティブによって金融化される。

つまり、電力のデジタル化、データ化、コモディティ化、共通市場化、金融化は、すでに現実の市場で進行していると言っても過言ではありません。

こうしたベクトルの延長線上に、電力会社への外国企業の資本参加という話もでてきています。

第6章 アワリーマッチングは「悪」ではない

話をEACのDXに戻します。ここで重要なのは、アワリーマッチングや電力市場のデジタル化そのものを否定すべきではないという点です。

むしろ、これまでアナログ的・どんぶり勘定的に運営されてきた電力システムを、より高度に可視化し、細分化し、最適化することには、大きな意味があります。

電力の時間価値や地域価値を細かく把握することで、需給調整の高度化、再エネ導入拡大、系統安定化、経済効率性向上、蓄電池やDRの有効活用などが期待できます。つまり、アワリーマッチングは、電力システムをより高度で効率的なものへ進化させる有力なツールになり得ます。

その意味では、私たち自身も、こうした動きを積極的に促進し、社会実装を進めていくことには大きな意義があると考えています。

しかし同時に、そこには慎重に考えるべき論点もあります。それが、経済安全保障やデータセキュリティです。

これまでのグローバリゼーションでは、「世界共通市場化すること自体が善である」という価値観が強く存在していました。しかし、その結果として、多くの市場が巨大プラットフォームへ集約され、各国の主権やデータ支配力が弱まった側面もあります。

もし電力でも同じことが起きれば、日本の需給データ、需要行動、価格形成、再エネ価値といった極めて重要な情報が、海外プラットフォーム上で管理・最適化される可能性があります。

したがって、デジタル化を進めることと、無条件に世界共通市場へ全面依存することは、本来別の論点として考える必要があり、政策として冷静に設計していく必要があります。

これまでのように、単純に「グローバル化することが正しい」という発想だけで進めれば、日本の電力市場そのものが外国企業の巨大なプラットフォームへ取り込まれていくリスクもあるからです。

中央集権型インフラの限界

都市部や大規模産業集積地での電気事業は、世界共通市場化・デジタル化・金融化の流れがさらに強まる可能性があります。

特にデータセンター、半導体、AI、グローバル製造業、金融機関などの大口需要家は、国際競争の中で電力の安定性、価格競争力、再エネ調達、時間別環境価値管理を強く求めるようになります。

この領域では、電力市場はますます高度にデジタル化され、世界標準市場に接続していくでしょう。

しかし、一方で、日本は人口減少と地方の縮小という構造問題に直面している日本の状況を考えると、すべてをこの方向だけで考えることはできません。。

これまでの日本のインフラは、中央集権的な共通規格とユニバーサルサービスを前提として発展してきました。電力、鉄道、道路、上下水道、ごみ処理、通信。いずれも、中央から動脈と静脈を張り巡らせ、毛細血管のように全国の市町村の隅々まで同じサービスを届けるという発想で整備されてきました。

しかし人口減少が進む中で、このモデルをそのまま維持することは難しくなりつつあります。利用者が減り、設備維持費が増え、更新投資の負担が重くなる中で、全国一律・中央集権型のインフラを維持することは、財政的にも技術的にも限界に近づいています。地方では、夫々異なる課題に、それぞれ異なる手法で、試行錯誤を繰り返しながら対応せざるを得ません。

人口が減り、需要密度が低下し、既存インフラの維持が難しくなる地域では、これまでのユニバーサルサービスに変わり、地域の実情に合わせた「自助・共助・公助」を組み込んだ地域内でエネルギーを回す自立分散型モデルを導入せざるを得ません。

これは、世界共通基準化、商品のコモディティ化とは真逆のベクトルです。規模の効率性も働きません。採算が取れないかアナログなら自助モデルに移行せざるを得ないわけですから、なかなか全面的な外資参入とはなりにくいと思われます。

つまり日本では、中央部(電力の上位系統)は世界統合された高度デジタル電力市場へ向かい、地方部は地域自立型の分散インフラへ向かうという、二つのモデルが並存していくものと予想されます。

繰り返しとなりますが、幸か不幸か、これは「コモディティ化」「取引手法の国際標準化」「高度な金融手法」とは真逆の世界です。そこは、こうした「プラットフォーマー」や「AIを駆使した高度なコモディティ取引」が最も苦手とする世界です。

つまり、日本では「中央で大規模化し、効率化する領域」と、「地方で自立化し、分散化する領域」が、同じ国の中で同時に存在することになると思われます。

JR東海に見る二方面対応のアナロジー

この構図を考えるうえで、鉄道の例は分かりやすいアナロジーになります。

例えばJR東海は、東海道新幹線という日本最大級の高収益・高密度インフラを持っています。さらにリニア中央新幹線という世界最先端技術を取り入れ、より大規模化、高速化、効率化を進めようとしています。

これは、中央軸における高度化・大規模化・効率化の方向です。一方で、毛細血管のように張り巡らされていた地方の不採算路線については、利用者減少、維持費増加、人員制約などを背景に、車両削減、本数削減、運行形態の見直し、場合によっては路線維持そのものの再検討を迫られています。

つまり、同じ鉄道会社の中でも、一方では最先端技術による大規模化が進み、もう一方では地方路線の縮小・再編が進むという状況が同時に起きているのです。

そして鉄道路線廃止の代替となった路線バスでも、乗客数が年々減少し、民間の撤退が相次ぎ、国土交通省が策定した交通基本計画では、「交通崩壊」として「自助・共助・公助」の組み合わせでなんとか回るようにすることが求められます。

電力小売は地域インフラ事業者へ変わる

つまり、過疎化する地方における電力小売事業の役割は大きく変わります。単に電気を仕入れて売るだけのブローカーモデルを維持するのは難しくなります。

地域ごとの再エネ、地域ごとの需要、地域独自のルール。そこでは、世界共通のコモディティ市場は必ずしも成立しません。

むしろ、地域特性に応じたテーラーメイド型の電力供給が重要になります。ここでは、電力は世界共通市場の中で匿名の商品として取引されるのではなく、地域の文脈の中で価値を持ちます。

地域の再エネを地域で使う。地域の需要を地域で調整する。地域の蓄電池やEVを地域の系統安定化に活用する。地域住民の参加によって、脱炭素とレジリエンスを同時に実現する。つまり、世界市場への統合とは逆方向に、地域共同体への回帰という未来も同時に進行する可能性があると考えます。

さらには、電気事業者単独で、送電網の維持・管理は難しくなり、場合によっては、通信・上下水道・廃棄物処理・物流・交通・公共サービスといった他領域と、地域ごとの状況に応じて組み合わせていかないと採算は確保できなくなる状況となることも予測されます。

つまり、地方の電力小売は、単なる小売ではなく、地域インフラの再設計・運営者になっていく可能性があります。かつて話題となった、ドイツのシュタットベルケ的なモデルと言っても良いでしょう。

世界共通市場化とはますます反対の話となってきます。

第7章 経済安全保障との関連性

先述したように、現在の世界は、グローバリゼーションの限界にも直面しています。経済安全保障、サイバーセキュリティ、データ主権、地政学リスク。これらはすべて、世界共通市場への過度な依存に対する警戒感を強めています。

特に電力は、国家安全保障そのものに直結するインフラです。そのため、日本の電力データが、日本のホテル予約や広告市場のように、海外クラウド上で管理・最適化される世界を無条件で受け入れてよいのかという議論も、今後強まっていく可能性があります。

まとめ

20年後、日本の電力小売事業は、おそらく二つのモデルに二極化していく可能性が高いと考えられます。

一つは、海外プラットフォームや国際市場と接続し、デジタル化・金融化された世界市場の中で競争する方向です。

もう一つは、地域エネルギー、地域データ、地域ルールを守りながら、ローカル分散型インフラへ進化する方向です。

前者では、電力小売事業者は、世界標準のデータ、証書、先物、デリバティブ、PPA、蓄電池、DR市場を組み合わせる高度な金融・デジタル事業者になります。後者では、電力小売事業者は、地域の発電、需要、送配電、蓄電池、EV、自治体政策を束ねる地域インフラ事業者になります。

これは単なるビジネスモデルというよりは、国として、社会・経済をどう守るかという政策規制の話でもあります。

データ主権やエネルギー主権をどのように考えるのか。そして、人口減少時代の地方インフラをどう維持し、再設計するのか。この二つの問題が重なってやってきていると考えられます。

失われた30年を経て、今、電力を起点として日本の経済・社会の在り方が問われているといっても過言ではないと思います。